ペットボトルの再利用とTVひひょう(たかじんのそこまで言って委員会)

ペットボトル再使用を実験=首都圏のスーパー、宅配で−環境省
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=566506&media_id=4

これはこけるな。
俺君は見えない他人(←ここ重要)と同じ飲み口を使う事には抵抗を感じます。
これは多分、ケガレの文化に基因すると思うから、他にもそう感じる人は多いと思う。

俺の場合は、友達とか家族なら同じ飲みでもいいんですけど(健康衛生的にはこれもまずいんですが)、これが他人になると無理。
もちろん殺菌消毒するんだろうけど、これは科学だけで片付けられる問題じゃない。
飲み口だけ交換できるようにするならアリですね。



さて、日記のねたに困っていたんですが、
TV番組とかのひひょう(批評ぽいの)をすればいいことに気づいた。

譲り合いの社会

乙葉の疑問 「エレベーターはベビーカー優先?」
http://news.livedoor.com/article/detail/3607870/

ベビーカーが来たら譲りましょうよ。
「そんなルールないし」
って、こういう事一元一句ルールを作らないと、親切もできんのか。
個人主義っていうのは同じ世界の中で暮らす他者も認めて、
その中で如何に自分らしく生きていくかって事でしょ。
手軽の人間と、ベビーカーひいた女性なら、手軽の人間が相手のことを考えて譲る、少しの面倒と時間を割くのが当たり前。
荷物いっぱい持ってるならべつにいいと思うけど。
あと、肩紐で子供担げって、そりゃそれができるだけの力のある女性ならそれでもいいですけど、
筋力って個人差がある事も理解できんのか。
知り合いの中に体のあまり強くない人が一人もいないなら、もっと社交的になって交友関係広めろよ、って思いますね。

道路は生産性以前に必要なモノ

日系ビジネスオンラインの記事で、道路特定財源について語られているんですが、要約すると、
道路建設に必要な経費以上の見返り利益がなければ道路は造るな!」
って事。
ガソリン税、自民も民主も大間違い (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080310/149503/?P=2



それって、都会の暴論じゃないですか?
和歌山ー奈良間を始め、日本中にはまだまだ、マトモな片道一車線の道路すらない地域がたくさんあります。
対向車が来ると、谷底に落ちないかヒヤヒヤしながら通らないといけない道路、上から石がゴロゴロ落ちてきて、道路に石が落ちている道路。
生産性が無いとしても、造らないといけない生活に必要な道路は山ほどありますし、それに、そもそも、生産性を語る前に最低限のインフラ、道路は必要です。
今、電車が走っていない地域だって、道路があればマイクロバスを走らせる事ができます。
地域の介護問題、通学問題にも役立つじゃないですか。



政党間で言えば、「まだまだ道路は必要」っていう自民党案の方が私の考えには近いです。
ただ、自民党の先生方は、「何故、道路が必要なのか。」ってい説明をちゃんとしないから、いらぬ誤解が生まれる。
マスコミの報道の仕方と共に問題があります。
あとは、入札制度を透明化して、人件費を削らない範囲で安い費用で道路建設ができればいいと思います。
他には、環境税と医療費もガソリン税に入れていいと思いますが、話が脱線するので今回は置いておきます。
一般財源化はその後だと思います。



(引用開始)

道路特定財源一般財源化が浮上している。この点については、「作るべき道路は何か、ということを第一に考えるべき」(高橋氏)という。
 道路建設など使途を限定した道路特定財源の存在が、無駄な道路が建設される要因の1つだろう。そのため、道路特定財源一般財源化し、社会保障などに回すべきと主張する識者は少なくない。もちろん、真に必要な道路は作るべき。では、作るべき道路とは何か。

 「B/C≧1」。これは、公共投資の最適解を示した基準のこと。ベネフィット(B)をコスト(C)で割った数値が1以上であれば作り、1を下回ればやめる。費用対効果を数式で表したものだ。

 この「B/C」には、「事前」と「事後」の考え方がある。事前というのは、需要やコストなど完成前の推計を用いた費用対効果。事後とは文字通り、実際の需要やコストに基づいて計算した費用対効果である。実際の交通量が予測を大幅に下回っている東京湾アクアラインのように、事前のベネフィットは過大に、そしてコストは過小に算出されがちだ。


腹に一物を抱える自民と民主

 冬柴鉄三国交相は、2月の衆院国土交通委員会で「(B/Cで)1を超えるということは当然の話」と発言している。先に触れたように、事前のB/Cは甘めになりがち。高橋氏によれば、事後の「B/C」を1以上にするために、事前の「B/C」を3以上で見ることが多いという。冬柴大臣の委員会での発言が事前を指しているのか、事後なのか、議事録では定かではないが、ここでの「B/C」は事後であるべきだろう。

 政府は高規格道路1万4000キロを整備する構想を持つ。そのうち約9300キロは整備済みだが、約4700キロが未整備。昨年、国土交通省がまとめた道路整備中期計画の素案では、2008年度から10年間、約23兆円をかけて基幹ネットワークを整備するとしている。この整備計画に「事後のB/C≧1」という基準を厳格に適用した場合、すべての道路を計画通りに建設できる保証はない。

ガソリン税、自民も民主も大間違い (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080310/149503/?P=2

(引用終了)

うーん、見事に更新を怠ってしまいました。
で、更新を怠った理由ですが、色々と読書してました。
人権についてと、福祉と市場原理についてというテーマなので、読んでも読んでも、きりがないのですよ。
カントやら、ベンタムやら、ミルやら、アダム・スミスやら、フリードリヒ・ハイエクやら、エスピン・アンデルセンやらでもう、正直、凡人程度の私の能力ではいっぱいいっぱいです。
今はとりあえずカント関連を中心に、研究書やらを読んでいますが、これってはまり過ぎると一生を使っちゃいますね。と言うか、研究職か、評論職にでもつかないと本を読む時間って取れなくないですか?
と、最近の近況はこういう感じです。

近代日本史を世界史として語る際に起こるであろう抵抗

 「日本が、大東亜戦争、太平洋戦争を起こした理由について言及したくない」
という意思が、近代日本氏を世界的視点から語ろうとするときに起こる可能性があります。
日本史と世界史を統合し、事実と正確な資料に基づいて、歴史を書けば、
自ずとその理由は見えてきます。



 「そもそも戦争は悪であり、それが何故起こったかなど言及する必要は無い。
とにかく、日本はアジアの国々に対して、多大な迷惑をかけ、残虐非道な行いをしたから、
平和を愛する諸国民によって粛清された。
日本は未来永久、謝罪と賠償を続け、昭和に生きた先人に対して感謝してはいけず、憎むべきである。」



 まあ、今の昭和に対する史観は、大方、こういったものです。
昭和の戦争が起こった理由については以下のサイトなどを参照ください。
http://toron.pepper.jp/jp/epi/daitoua.html
http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/rock_07_1.shtml
http://www.mo-hawaii.com/go/time/021/main.html

日本史と世界史について

今の社会は、
世界史必須
日本史・地理から一つ選択必須
現代社会か、倫理・政治経済必須ですが、



 私は社会は全部混ぜてしまってもいいと思うのですね。
世界史と倫理(思想分野)は総合的に学ぶべきというのは昔からある話ですし、
世界史と日本史を総合的に学ぶのもまた然りでしょう。
近代日本史については、そもそも日本史として学ぶ事がナンセンスです。
さらに世界史と地理も密接ですし、日本史と政治経済も密接です。*1
なら、もう「歴史・社会」として一つの科目に統合すればいいのです。

*1:現代社会は倫理と政治経済を足したもの