戦前日本とビルマ

たまには、こういう紹介もやってみないとですね。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_3.html
様にて、戦前日本とビルマの関係が書かれています。

 ビルマは19世紀に三度にわたってイギリスの攻撃を受け、ついに1886年に イギリスの植民地とされ、そのとき既にイギリス領であったインドの一州に組み込まれてしまいました。ビルマの国王夫妻はイギリス領スリランカに流刑され、その地で死亡。王子は処刑され、王女はイギリス軍の士官の従卒に与えられてしまいます。

 その後の悲劇をバー・モウ元首相はこう書いています。「外国人による搾取は上層から下層まで、あらゆる方面で暴虐さを加えていた。巨大イギリス企業は上等の部分をすべて独占し、インド人と中国人の商人たちがそれに続いて中級の部分をほとんど手に入れてしまっていた」(バー・モウ『ビルマの夜明け』)

 そしてビルマ人はというとチーク材の切り出しなどの重労働にこきつかわれました。現在もミャンマーでは先端の尖っていない鎌や包丁が売られていますが、これは植民地時代、イギリス人に抵抗する武器にならないようにした名残だといいます。こんな悲惨な状況を一転させたのが日本軍の進攻、また日本によるビルマ独立志士たちの育成でした。そこで日本はビルマ青年たちを支援し、イギリス勢力を追放するため、ビルマ独立を達成しようとしたのです。

(略)

 バー・モウ、元ビルマ独立義勇軍幹部、元ビルマ首相は『ビルマの夜明け』と言う著書を発表し、この本がイギリスでも出版されることになりました。
このとき「ロンドンタイムス図書週報」1968年5月23日号ではこの本について次のように紹介しています。「ビルマを長い植民地支配から解放した者は誰か。
それはイギリスでは1948年、アトリー首相の労働党内閣だということになっている。しかし、バー・モウ博士はこの本の中で全く別の歴史と事実を紹介し、日本が第二次世界大戦で果たした役割を公平に評価している」とし、序文の一部を引用しています。

 それは「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」というバー・モウの歴史観を現した一文でした。

 日本では決して語られることのない歴史が、ここミャンマーではしっかりと語り継がれています。

下記より引用 (上記の詳細・全文読めます)
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_3.html