就業教育の必要性

 さて、秀才教育と同時に行わなければいけないのが、就業教育です。
これは中学から少しずつ選択性で、色々な職業に就業するための基礎力学習や、体験授業などを…
と文章を書くつもりだったのですが、
乱れ斬月さん(http://blog.livedoor.jp/delfin3/)がほぼ、同じ内容のことを語っておられたので、もう引用しておきます(笑)

私が思うに高校はもう少し、多様化してもいいのではないか、そう思うわけです。
現実的に、偏差値の低い高校では、高卒と言う資格を得るだけで就職のメリットがさほどないわけで、それならば、高校時代の内に、農業・漁業などと言った後継者に恵まれていない第一次産業を体験学習させることに重点を置くべきではないか、とそう思うわけですね。
人間、食べ物を食べなくては生きていけないわけで、そして食料を他国に依存するのもやはり危険であり、街の人間にはダサく見えても、第一次産業は非常に誇れる仕事だと思うわけです。
学校の勉強が出来る出来ないで人間の価値が決まるものではなく、あくまで適正の問題なわけですが、現実問題として学校のお勉強で将来の道が決まってしまうわけで、それを企業に改善を求めてもなかなか難しい。となると、卒業してニート・フリーターとしてぼんやりと日々を暮らしてしまう前に、学生のうちに第一次産業を何種類も体験させて(大工とかも後継者少なそうですし)、その楽しさ・やり甲斐に気づかせる、そう言う適材適所で柔軟な教育こそが、本当の意味でその子の為にもなるし国の為にもなるし少しでも格差を和らげるのではないか。
ニート・フリーター対策とかで税金使って愚にもつかない職業訓練させるぐらいなら、そういった第一次産業への研修制度みたいなものももっともっと国は力入れるべきでしょう。
http://blog.livedoor.jp/delfin3/archives/2006-03.html#20060330

 私の意見は、これに加えて、中学から少しずつ始める事。
第一次産業以外の就業教育も行う事でしょうか。
勉強はできなくても、パソコンは得意という子もいますしね。



 あと、偏差値が低いというのは、全ての生徒に、秀才教育を求めるからなんですね。
秀才は一部でいいんですし、そもそも少数であるから秀才であるわけです。
もちろん、秀才を選び取る畑は広いに越した事はありませんが、明らかに向いていない、意欲がない生徒には、他の道も選ばせてあげる必要性があるという事です。
それが就業教育なのです。