憲法改正は必要なのか

前回の続きなのですが、よく考えたら、以前某掲示板で書いた文章をそのまま転載すれば済む話でした。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  私は現憲法でも、北朝鮮自衛隊を派遣して、拉致被害者を救出するための装備、とりわけ、敵地攻撃能力の整備、それと、情報収集機関を作る事は可能だと考えています。
ですので、「憲法を改正しないと、敵地攻撃能力を持たせる事はできない!」という考えから改憲するなら反対ですね。



 ただ、現憲法は、1946年に占領軍最高指揮官のダグラス=マッカーサー元帥(SCAP) の指示によりGHQ民政局のメンバーにより1週間という短期間で起草され、日本国政府 原案として大日本帝国憲法改正という名目で帝国議会憲法として可決、翌年施行されています。
つまりは、アメリカの圧政下の中で、短期間で作られたものでありますから、日本人自身で作り直すのが筋ではあると思います。その結果、今以上に平和主義憲法、もしくは空想平和主義憲法になったとしても、それは国民の責任と言えますね。



 ちなみに、保守界隈では悪評の自由民主党古賀誠先生も、「現憲法は、"義務"より、"権利"という言葉があまりに多過ぎる」と、「政界 古賀誠 花と龍」という書物の中で語られています。
これには、
「権利の濫(乱)用を禁止した一二条と、権利は公共の福祉(利益)に反しない限り尊重されると規定した一三条は、いわゆる「総論」で、要するに、その二つはすべての人権規定に及ぶ規定である。」
という反論もあり、私もそう思いますが。



 ここまでが、転載内容なんですが、これに付け加えて、あとは憲法を不磨の大典にしてはいけないという理由もあります。
不磨の大典とは、分かり易く言ってしまえば、「絶対に変えない!これが真理なんだ!!」としてしまう事ですね。
明治憲法において、議会が軍を掌握できなくなった原因は、明治憲法を不磨の大典にしてしまった点にあります。
(軍の暴走といわれるものについては後(下)で軍側の弁護をしておきます)
戦前の歴史から反省しろ!!という声は、むしろ護憲派に多いのが日本の不思議なところなんですが。
次回は、国防のための軍隊の是非について。



 昭和において、元老院が無くなった結果、軍が、議会の管理化を離れて暴走し、さらに陸軍と海軍が犬猿の仲だった。
日本はやっぱり駄目だったんだ、という声がよくありますが、実際はどうでしょう。
議会の言い分は、アメリカなんかと戦争しても国が滅ぶだけ、とにかく、かなりの妥協をしても話し合いで解決すべき(アメリカの日本に対する経済制裁、排日法案等に対して)
陸軍の言い分は、(ソビエトから)南下する、共産主義の権威は、明らかに日本を滅ぼすものである(ソビエト天皇一族の皆殺しを宣言していた)
日本をソビエトの植民地にしないためには、ソビエトにシナ地方(特に満州地方)や朝鮮半島を取らせてはいけない。
そのためには、満州親日国家が不可欠である。(その結果が満州国
海軍の言い分は、日本は海を越えて東南に資源を求めないと、石油が入ってこない以上、どうしようもない。
と、大まかにはこんなものです。



 実は、これ、全部正しいんですね。全てを平行して行うこともそう特異な事ではありません。
私は、軍部は暴走したというより、日本を守ろうとしたといった方が的確であるとしか言えないと思います。