文型の大学で学ぶ事は独学可能である

 というタイトルは大げさですが、
週に一回も大学に行けば十分ではないでしょうか。
もちろん東京大学で主席を取る様な学生は、もっといくべきなのかもしれませんが、
多く一般の大学生は、週に一回も行けば十分です。



 大学で学ぶことは殆ど読書でも学べる事ですし、
唯一価値のあると言える、ゼミ形式の授業にしても、週に一回90分しかないところがほとんどです。
そう考えると、大学は週に一回とし、ゼミ形式の授業を6時間連続で行えば充分過ぎますし*1、もっと言えば今の大学制度より高い学力がつくのではないでしょうか。



 週に一回の授業で、教授は来週までに、あの本とこの本を読んでおけと指定したり、必要なら要約や、小難しい、自己満足みたいな文書を、高校生でも分かる文章に書きなおせ、と指定すれば、かなりの知識が付きます。もちろん、レポートを書かせる事も有意義です。



 と、こう語れば、大学というより、寺子屋みたいですね。いや、週に一回、師匠のところに通う様な制度とも言えるかもしれませんが。ですが、そういった制度の方が、今の、テーマパークの様な大学制度より、内容がある事はここまで語ればお分かりではないでしょうか。



 さらに、この様な大学なら、巨大な施設も必要ありません。会議室なり、畳20畳くらいの部屋が、一つあれば十分です。図書館は私立図書館で十分ではないでしょうか。大阪市の様に、読みたい本を市全体の図書館から最寄の図書館に取り寄せる制度があれば尚更です。*2*3



 人との交流もないわけではないのですから、必要があれば学生が自主的に、授業の無い日も交流していけばいいわけですし、課外活動にしても然りです。*4



 理系にしても研究機関を必要な分だけ作れば、後は同じような制度で、研究に必要な知識は付くのではないでしょうか。*5



 この様に、現在の大学生制度より、寺子屋のような制度の方が、費用的にも内容的にも良い事づくめなわけです。現在の大学に入り込んだ産業や、それに伴う労働者の雇用問題や、大学側の、現在の状態を保った方が無難であるという保守性*6といったような壁は多々ありますが、それを乗り越えても教育水準の上昇という事を考慮すればこれは一考の価値があると言えます。

*1:もちろん休憩は取る

*2:学術文庫は中央図書館でほぼ揃うわけですが

*3:足りないというなら、大学教育に必要な図書を国や地方が揃えてあげればいい話ですし、その費用は今のような巨大大学を維持する必要に比べれば微々たるものです。

*4:広場や、体育館、部屋を借りる努力は学生がすべきですし、人が集まれば出来ないことではありません。その程度の事が出来なければ、卒業後に社会に出て恥をかくだけです。

*5:もちろん他にも器具や薬品の問題もあるので、理系の場合は文型ほど簡単にはいきません。ある程度の規模の施設は必要ですが、今よりは縮小できるでしょう。

*6:これはどの様な組織にもある意識です。