“A級戦犯”「分祀」は論外 國學院大學教授 大原康男氏に聞く(世界日報)

http://nippon7777.exblog.jp/d2006-04-16

他は何度も外出なので省きますが、(リンク先をご参照下さい)

――当時、“戦犯”釈放の国民運動があった。

 講和条約が発効して日本が主権を回復した陰に、その後も長い刑に服さなければならない同胞がいることに同情が集まり、二十七年七月ころから国民の間で“戦犯”釈放運動が起こった。その音頭取りをしたのは日本弁護士連合会で、当面の最も重要な人権問題であるとして取り組んだ。最終的には四千万もの署名が集まったのを受け、国会でも前後四回にわたり、ABC級を問わず“戦犯”の釈放決議を行い、政府も連合国各国に赦免勧告を行った。その結果、先に述べたように三十三年五月三十日にBC級戦犯が釈放された。

 巣鴨プリズンの管理権が日本に移ると、当時の一流の芸能人が競うように慰問している。映画俳優の長谷川一夫、歌手の藤山一郎淡谷のり子、歌舞伎の市川猿之助日劇ダンシングチーム、さらに大相撲の横綱が相撲を取る、プロ野球の巨人と毎日オリオンズが試合をするなどなど。それだけでも当時の国民の“戦犯”に寄せた気持ちが分かる。

こういう当時の風潮が、靖国論壇でほとんど語られませんね。