小泉首相の終戦記念日参拝の意味

 六度目についに実現した首相の815参拝。
これにはいったい、どういった意味があったのでしょうか。
それは言うまでもなく、
「国家が国命として、戦地に送り、そして死なせてしまった人々に対する責任」
であり、
日本国民に対しても、そういった人々に対する想いを忘れないで欲しいというメッセージです。



 今回の参拝の意味についてはこれしかないでしょう。
まず、今まで散々言われた「集票目的」、「ポピュリズムの利用」という理由は、
もはや、任期切れの近い小泉首相には当てはまりません。
全く見当違いと言うことでしょう。
むしろ、なぜ、もはや、人気も票も必要のない小泉純一郎が、815に参拝したと言うことは、
「国令でもって死なせてしまった人々への責任」
と言う意味が強調されたということです。



 中国は、「A級戦犯の祭られた靖国に、日本の総理がーー」
と言っていますが、東京裁判で、国際法に違反してA級戦犯とされ、
そして死刑になった方々への追憶であるなら、8月15日でなく、12月23日にいくはずです。
これも見当はずれな意見といったところでしょう。
ちなみに、小泉首相が、どの程度、戦犯や東京裁判への知識を持っているかは、
そして知識を持っていたとして、それに対して、どう思っているかは、
私には分かるところではありませんし、
今回の「国令をもって死なせてしまった人々への責任」というテーマとは関係のないことです。



 小泉首相は、靖国参拝を「心の問題」と言います。
それは半分、的を得、半分は的を外しています。
「国令を持って戦地に赴かせ、死なせてしまった人々への責任」
としての参拝は、
日本の主導者、代表者、つまり、天皇陛下内閣総理大臣には当然の事であって、
これはもはや心の問題ではありません。
ですが、そんな当たり前の事を忘れてしまった今の日本人に対しては、
「心の問題」という言葉は正しく、当てはまっているのです。