二極化、デジタル化

 小泉純一郎という人間は何でも二極化し、
そして支持を得てきたというコラムを読みましたし、
報道番組やら、新聞記事やら雑誌記事でそういうものはよくみかけます。
郵政民営化か、それに反対するのか、
靖国に行くのか、行かないのか、
私を支持するのか、抵抗勢力なのか。



 そして、小泉劇場という事場まで作られ、
自民党に投票した人はそれに踊らされたのだとまで言う。
自民党に投票した人は、自分の意思は持たずに、
小泉に踊らされた、騙された。
そして小泉劇場という言葉を使う自分たちは、
賢いから、分別があるから、それにきづいていたのだ、
お前たちも早く目を覚ませと言います。



 と、こう考えると、物事を二極化しているのは、
小泉純一郎という人間だけではなく、
実はそれに異を唱える人もそうなのだという事に気づきます。
世の中には、小泉劇場に騙された人、
とそれを見破った賢い自分たちしかいないと。
もちろん、彼らはそんなこはない、
皆が意見を言い合うべきだと奇麗事を言うでしょうが、
それでは、小泉劇場という言葉は何なのか、
何のためにそういう言葉を作ったのか、
騙された人間と、賢いから騙されなかった人間、
そういう、二極的な分け方をしたかっただけじゃないでしょうか。
みんな、だまされているぞー
おれはきづいているんだー
結局、こういう事でしょう。



 そもそも、小泉純一郎という人間が、自分の政策を打ち出し、
最終的に、それにYESかNOかと問いかける事は確かに二極化ですが、
それが政治なのです。
NOと思うなら、
小泉純一郎を、それを総裁にかかげる自民党を、
政権から引き摺り下ろせばいいのです。
それが選挙です。



 では、話し合いは存在しないのでしょうか。
選挙でYESNOというしかないのでしょうか。
それは半分正解で半分間違っています。
我々は、直接民主制を放棄し、議会制民主主義という間接民主制を選択、
あるいは、それに対して異を唱えません。
多くの人は、仕事や家事、育児、余暇に専念したいので、
議会に出ることはわずらわしいと考えます。
少数の人は政治家を志し、それを職にて政治を自分の手でやろうとします。
そういう人は選挙に打ってでればいいわけです。
選挙に出れないとすれば、その人の意志の力、努力が足りないのです。
その体制が満足できないなら、
直接民主制に移行すべきという運動を起こせばいいわけですが、*1
こういった動きは、極右や極左の運動以上に微小であり、
とても多くの日本人がこういったものを望んでいるとはいえません。



 そう、日本は間接民主制なのです。
つまり、政権政党、あるいは与党で、話し合い、
その答えに、衆院で四年、参院で、二年に一回の国政選挙において、
YESかNOと答えるのが我々の権利であり、義務であります。
それを二極化と言えば、そもそも間接民主制の否定になるわけです。
時には、外の意見も聞くこともありますが、
結局決めるのは政権です。




 現在の郵政法案も小泉首相が、独りで決めたものではありませんし、
むしろ、当初の彼の意見から比べると修正がかなり施されています。
それは骨抜きではなく、話し合いの結果なのです。
選挙によって選ばれた代議士の、その代議士の信用する人間や団体の。
どうすれば、郵政を民営化した後、順調に経営を行えるか、
いや、そもそもそんなことを考えるのは、民営化の筋から外れている、
あくまで民営化し、あとは任せるべきだ、*2
と、様々な協議の結果,2007年に条件付民営化、2017年に完全民営化と決まったわけです。
果たしてこれをデジタル化と簡単にいっていいのでしょうか。



 靖国の問題も同じです。
最終的には参拝するしないかとなるのは当たり前のことで、
賛成派にも反対派も一枚岩ではありません。



 結局、二極化という言葉も、
小泉憎し、権力憎しという小市民的発想から産まれるものなのです。
参考:http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20060830ddm004070071000c.html

*1:間接民主制において、選挙に出る資格を緩和すべきと言う声もありますが、それに反対する声より確実に強いともいえません。ちなみに私は、緩和すべきと思っている方です。

*2:これは否定的に言えば丸投げと言えますが、ここあで話せ理があることはご承知されることでしょう